「何かあった時に頼れる人がいない」
このご時世、別に珍しい話ではないと思います。だからと言って生きていけないわけではありません。
しかし、そんな状態にはどうしても孤独が付きまとうもの。孤独感に付きまとう漠然とした不安は拭い切れないものがあると思います。
今回はその漠然とした不安について綴ってみたいと思います。
疎遠になる友人たち
僕は大人になってからもほぼずっと地元にとどまっているので、小学生の頃から今に至るまで付き合いのある友人が何人かいます。
仕事を始めてからも年に数回会う程度の関係は維持していました。
そんな僕らですが、結婚を契機に連絡を取る機会がめっきり少なくなってしまいました。
生涯未婚率20%超えの実態を20代男子10人の情報から探ってみる - かつおログ
以前こちらの記事でも言及しましたが
- 結婚+子持ち組
- 結婚+子なし組
- 未婚組
この3グループ間のそれぞれにどうにも埋められない温度差ができてしまっているのを感じます。
結婚を機に疎遠になるという話は昔から聞いたことはありましたが、こういう立場の差によってできる溝を実際に感じることでその言葉の真意を実感しているこの頃です。共有できる話題が圧倒的に減ってしまうんですよね。
もし関係が変わらなかったとしても
しかし、仮にこの昔からの友人たちと今までと変わりない関係を維持できていたとしても彼らが「何かあった時に頼れる人」なのかと言うと難しいところです。
少なくとも既婚者の優先順位で最上位に来るのは友人ではないでしょうし、未婚であっても友人が何よりも優先されると言うことは余りないのではないでしょうか。
そもそも、昔からの友人たちと自分を繋いでいるのは昔の思い出を共有しているというただ一点のみです。
成長とともに価値観は変わるもの。合わない価値観を持ちながらも、それでもずっと一緒にいられるという状態の方が不自然な気がします。
であれば、ライフスタイルの変化に応じて付き合う人間を変えていくというのが1つの理想形だと思います。
大人になってからの友人
でも、大人になってから新たに友人を作るというのは本当に難しい。
僕もいくつか習い事に参加してみたり、社会人サークルのようなものに参加してみたりもして一時的に交友関係を広げたりもしましたが、良くて1年程度続く関係が築けた程度でした。
習い事であれば、一時的に頻繁に会うようになってその時はすごく親密になれた気がします。
ですが、それはあくまで目的を共有しているうちだけです。共通の目的が失われてしまえば、残念ながらあっさり疎遠になってしまうことがほとんどでした。
思うに、この目的を共有しているうちは一気に親密になれるけど、失われるとあっさり切れてしまう関係は「友達」と言うより「仲間」と呼ぶ方が適切だと感じています。
「仲間」と「友達」の違い、説明できますか?ワンピースを例にして分かりやすくまとめます - かつおログ
この記事を書いたのも、こういった経験が背景にあるからです。
今は目的がなくてもなんとなくで集まれる「友達」の関係って尊いものだという感覚が強いです。
最近はこうした場に出向くことにも少し疲れてきてしまいました。
余り良くない傾向だ
そうして「家族」に閉じこもる
結果、今の僕は仕事を除けば嫁以外の人間関係と言うものがありません。両親や兄弟ですら疎遠です。
つまり、休日はほぼ引きこもり。嫁も外出が多いので孤独です。
それでもまだ嫁がいるだけ完全な孤独ではないんですが、なんというか、「家族」という繋がりしか持っていない状態がすごく危険なことのように思えるんです。嫁との関係がいまいち良好でないこともこの辺りに原因があるのかな、と。
だからこそ、昔からの友人たちとは違う、今の自分の価値観を共有できるような。それでいて、上述した「仲間」の関係で終わらない第3のコミュニティが必要だと感じます。
もちろん、これから10年20年経てばさらに自分の価値観も変わっていくでしょうから、それに即して所属するコミュニティもアップデートしていくのが望ましい。
それができないのなら、おそらくこのまま一生孤独がつきまとうのでしょう。
嫁の身に何かあれば、本当の孤独になりますしね。1人の人間とだけ繋がっているのは、その人を失った時のリスクが大きい。
さいごに
少なくとも末路が孤独死である人生に幸せはないと思う
以上!