2017年4月、北朝鮮のミサイル発射が話題になっていました。「戦争」というワードもネット上で飛び交っており、緊迫した状態です。
そこで今日は戦争について個人的に思うことを書きます。
戦争体験を語り継ぐことの難しさ
戦争体験を若い世代に語り継ぐことはなかなか難しい話だと思います。
この難しさを僕が実際に体感した例をお話させてください。
中学生の修学旅行で沖縄に行った時の話です。
ひめゆりの塔を訪れた際、実際に戦争を体験された方の講演を聞く機会がありました。
1時間程度の講演だったと記憶しています。
どんな雰囲気になったか想像できるでしょうか?
恥ずかしながら、大半の学生が寝てしまっていました。
涙ながらに語る講演者の姿だけは強く印象に残っていますが、残念ながら僕も話の内容は全く覚えていません。
あの涙は僕たち学生の態度に対してのものか、それとも戦争当時のことを思い出してのものか、今となっては知る術もないですが、当時の僕たちの態度を悔いるばかりです。
しかし、自分たちの情けなさを棚に上げるつもりはないのですが、中学生のような若い世代が1時間の戦争についての講演を集中して聞き続けることはなかなか難しいのではないかとも思います。
全く現実味を感じられない話ですからね。
当事者意識など持てるはずもないですし、ただ戦争体験を語って聞かせるだけでは真に語り継ぐことはできないのではないかと感じるんです。
伝え方の工夫が必要
では、どのようにすれば本当の意味で戦争体験を語り継ぐことができるのか?
難しい問題だと思いますが、1つはやはり映像を使った方法。
戦争を扱った作品は既に映画や漫画をはじめとした様々な形で公開されてきています。
我々が戦争体験をしていないにも関わらず、ある程度戦争に対するイメージが湧くのはこういった作品の功績が大きいですよね。
ただ、個人的にはこれだけだと戦争体験を語り継ぐという意味では不十分な気がしています。映像作品は史実をもとに作られているものも多いですが、やはりフィクションとして見てしまうので実感に欠けるというか。
もう間もなくいなくなってしまう戦争を体験された世代の方々のリアルな声を何かもう少し色褪せない形で残せないものかな、と考えてしまいます。
この辺り、今注目されているVRの技術が活かせたりしないんでしょうかね?倫理的な問題もありそうですけど・・・。
過ちを繰り返さないために
歴史的に見て、人類が同じ過ちを繰り返してしまうのってその過ちに対する後世への十分な語り継ぎができていないからだと思います。
せっかく高機能な記録媒体が発達してきているご時世ですし、こういった方面へぜひ活かしていきたいところですよね。
以上!