「憎まれっ子世に憚る」ってことわざがありますよね。
これ、理不尽だと感じたことありますか?
僕は特に中学生の頃、どうしようもない不良グループに限って、妙に先生に気に入られているのを見たりして理不尽だな、と感じていました。
真面目に生きてる方が損をする世の中なのか?とも思いました。
ただ、大人になってみるとちょっと他に思うところがあります。
それを説明するために、今回は僕と弟の関係についてお話します。
ワガママな弟と、真面目な僕
僕は3人兄弟の長男で、3つ下の弟と5つ下の妹がいます。
弟とは小さい頃は仲が良く、何をするにも一緒でした。
ただ、そんな弟に不満が一つ。
ゲームなどで対戦をして、劣勢になると必ずマジギレして泣きながら自分の部屋にこもるんです。
そんな弟に対して、僕や妹はよく顔を見合わせて苦笑していたものです。
「やっぱり人に迷惑をかけるのは良くないな。ルールはしっかり守らないとダメだ。」
こんな想いが強くなったのは、もしかしたら弟の影響も強かったのかもしれません。
さて、大きくなるにつれて僕らの関係も変わってきます。
ワガママだった弟も、自由奔放さはそのままに大きくなっていきました。
僕が普通高校の普通科に進学して平凡な毎日を送る一方、弟はコンピュータ関連の専門学校に進学し、余り家に帰ってくることがなくなりました。
気が付けばバンド活動を始め、髪が金色になり、僕の知っている弟とは別人になっていました。
そうやって疎遠になっていき、長い間連絡も取り合っていませんでしたが、ここ数年はたまに連絡を取るようになりました。
現在はベンチャー企業でかなりの裁量を与えられてバリバリ仕事をしているようです。
年中無休で睡眠時間もろくに取っていないようですが、仕事は楽しそう。
未だに金髪で、身だしなみについては顧客から注意を受けたりもするそうですが、それでも活躍しているのですから、恐らく相当に実力を買われているのでしょう。
弟と僕は似たような業界に勤めていますが、スキルの差は歴然です。
毎年年末には2人だけで忘年会をしているのですが、顔を合わせて話していると、今の弟はとても眩しい。
そして、ふと思うんです。
「小さい頃からルールが絶対だと思ってきた俺は社会に居場所がなくて、周りを顧みなかった弟がこんなにも立派になっているのはなぜだ」、と。
そういえば、疎遠になり始めた頃の弟は、パソコンを分解して部屋を散らかしまくっていた。深夜まで大音量でBGMをかけて、歌いまくっていた。
ちょっと周りを顧みないところはあったかもしれないけど、新しいことに次々手を出して、その中でとことん自分の好きなことを追及していた。
それに対して僕は「ルールを守って人に迷惑をかけないこと」を盾に、失敗を恐れ、とにかく今の枠組みの中で生きようとしてきた。
この差は大きい。
弟を見て感じた「憎まれっ子世に憚る」の理由
冒頭の話に戻ります。
「憎まれっ子世に憚る」とは、つまりこういうことなのだと。
ルールを守ることも必要だけど、周りの目ばかり気にしている奴はびっくりするほど成長しない。
多少周りに迷惑をかけながらでも、やりたいことに向かって突き進んでいる人とは得られる経験値が段違いです。
そして、気付いたのは両者のいいとこどりをすることもできるってこと。
ルールを守ることと、やりたいことに向かって突き進むことは全然相反する要素じゃないですからね。
ところで、落ちこぼれな僕ですが、弟から見ると僕がやってきたこともちょっと眩しく見えたりするようです。
隣の芝は青いということでしょうか。
結論
「憎まれっ子世に憚る」が理不尽だと思うなら、実際世に憚っている奴のいいとこだけ取り入れればいい。