僕は基本的にマナーにうるさい人間です。
- 歩きタバコ
- 列への割込み
- 電車内での通話
全部嫌いです。
両親に「他人に迷惑をかけるな」と言われ続けた賜物だと思いますが、こういうガチガチの枠にはまった考え方しかできない自分は好きではありません。
でも、ルールは絶対に守るものと言う概念が体に染み付いてるんですよね。
こんな考え方に苦しめられている方、いないでしょうか?
今回はそんな僕がどうしても不快になるマナーに関しての話。
先日の電車内での出来事
仕事帰りの電車の中でのことです。
40~50代ぐらいの男性だと思いますが、電車の中で通話をしていました。
それだけでも十分不快でしたが、問題はその後。
通話の最中にそのおっさんが小銭を床にぶちまけてしまいました。
当然、周りの人は拾い集めておっさんに返します。
でも、おっさんは通話しながら受け取るわけだからお礼も何もないんですよね。
頭を下げもしない。
その後、通話が終わった後も何食わぬ顔。
哀れだな、おっさん・・・
恥ずかしくないのだろうか?
別に僕は小銭を拾わなかったので、自分がお礼を言ってもらえなくて怒っているとか、そういう話ではありません。
ただ、臆面もなく周りに迷惑をかけた上、フォローまで受けておいてそれを当然の如く享受する姿勢に憐れみを覚えただけです。
4、50にもなれば、周囲から過ちを指摘されるようなこともなくなるのでしょう。
結果、自分の行いを顧みる機会にも恵まれない。
僕はこんなおっさんからは今後人が離れていくだけだと思います。
結局損をするのは本人かと思うと、やはり哀れです。
そもそも電車で通話する人間よ
電車で通話する人、一定数いるけどさ。
あと何分電車乗ってるの?
30分?
1時間?
ちょっと長めの2時間?
いずれにしても、その間に済まさなければならないほど重要な電話なんでしょうか。
急ぎの仕事の電話?
電車の中でも電話を取らせるような指導をしている企業なんですね。
さぞ世の中に貢献してるんだろうな。
ご立派ですね。
なぜ電話を不快に感じるのか?
ところで、電車の中での通話を不快に感じるのってなぜなんでしょうか?
こちらの本にこの心理について説明がされていました。
曰く、我々人間は「対話の相手が見えず、話の内容が分からない状態」が不快に感じるようにできているようです。
電話だと会話をしている片側の人間の様子しか分かりませんから、この状態は不快になるわけですね。
だから、電車内でも両者がこちらに見えている普通の会話は、電話を通じての通話に比べると不快にはなりにくいわけです。
(会話も度を過ぎると不快ですが)
だからさ、頼むから電車内での通話辞めない?
いや、じいちゃんが危篤とか、そういう連絡ならいいと思うよ?
でも、そんな切羽詰まった通話してる人見たことないから!
最後に
電車に頼らない生き方ができるのが一番理想。
以上!