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他人を攻撃できない人間の心理とその危険性について語る

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他人を平気で攻撃できる人と、全くできない人。あなたはどちらに当てはまるでしょうか。

一見すると他人を攻撃できないと言うことは平和的で良いことのように思えるかもしれませんが、デメリットだってあります。

 

僕は絶対に他人を攻撃できない人間なので、そちら側の視点で他人を攻撃できない人間の危険性についてお話させてください。

 

物理的・精神的攻撃ができない

物理的な暴力は言語道断な話なのでさておいて、今回は精神的な暴力に焦点を当てたいと思います。

僕は対面はもちろん、ネットの世界でも相手を攻撃するような発言は絶対にできません。良い人ぶっているとかそういう話ではなく、本当に他人に暴言を吐くことができないんです。

 

その心理の根本には争いを極端に恐れる気持ちがあると思っています。他人と争うことがとにかく怖い。意見を戦わせるということすらまともにできません。

結果、肯定的なことしか言わなくなってしまい、相手に服従しやすいという悪い面も顕著に表れてしまっています。

 

内面と外面の剥離

ただ、暴言を吐かないと言ってももちろん嫌いな相手がいないわけではありません。そんな相手には僕も内心では悪態をついたりしています。

でも、それは絶対表には出せません。例え相手が一方的に攻撃をしかけてきたとしてもです。

 

嫌いな相手に攻撃された場合、僕は怒りという感情をほとんど感じることがありません。誰かに攻撃されて湧き上がってくる感情は1に恐怖。2に悲しみ。そして自己嫌悪です。

仮にこちらに非がないのだとしても、こんな感情に支配されている状態ではとても冷静に反論などできたものではありません。

少し時間をあけてみても、心の中に残るのは「攻撃されるようなことをした僕にも非があるんだよな。どうすればよかったんだろう」という自己嫌悪。

見返すだとか反撃するだとかいった考えは一切湧いてきません。

 

攻撃できない人間の危険性

ここから本題。

他人を攻撃できない人間の何が危険なのか。

 

他人を攻撃する時というのは、およそ自分の中に何か負の感情が蓄積しており、他者を攻撃することでその感情を発散させたいというケースが多いと思います。

では、他人を攻撃できない人間は自分の中に蓄積された負の感情をどう発散するのか?

健全な発散方法を身に着けていれば良いのですが、他者を攻撃する代わりに自分を攻撃するという発散方法を取る人がなかなか多いように感じます。

 

僕もそんな一人。

自分を攻撃するとはつまり、自己嫌悪ですね。自己嫌悪って実はストレス発散のための行為だと思うんです。「自分はこんなにダメな奴なんだから失敗しても仕方ないよね」という免罪負を自分に与えて慰めることができますから。

 

ただし、これは非常に危険。

長年にわたって自己嫌悪で逃げる癖をつけてしまうと、自信を失う一方で本当に冗談ではなく行き着く先は破滅だと思います。

 

危険性のその先

他者を攻撃する代わりに自分ばかりを攻撃していると徐々に自信が失われていくと書きました。

自己嫌悪の怖いところは「自分はダメなヤツだから仕方ない」という免罪負によってスキルの向上を放棄してしまうと言うことが一点。

加えて、自己嫌悪ばかりしていると周囲の人間とは円滑な人間関係を築きづらいですから、孤立しやすくなります。

 

結果、人にも好かれず能力も低い人間のできあがり。

これを破滅と言わずになんと言えばいいのでしょうか?ある程度の年齢がいった状態でここから挽回を狙うのはとても労力のいることだと思います。というより、ほぼ不可能ではないでしょうか。

 

さいごに

他者を攻撃するのは簡単なようで実は難しい。

理不尽な攻撃はいただけませんが、正当な理由があっての攻撃ならどんどんしていくべきだと個人的には思います(「攻撃」という言葉は少し不適切かな)

 

行き場をなくした負の感情の矛先が自分に向いてばかりの危険な状態に陥る前に、どこか発散できる先を見つけたいものですね。

 

以上!