- 「それはちょっとアレだよなー」
- 「アレだよ、アレ」
- 「なんかアレな感じの人だな」
適切に使えば文章が冗長化するのを防いでくれる指示語。
多用しても文脈からある程度意味が伝わるのが指示語のすごいところですが、あまりに多く使われているとなんだか間抜けに見えてしまいます。
指示語の役割
1.文章の冗長化を防ぐ
指示語の役割で最も重要なのは文章の冗長化を防ぐと言う点。
「昨日旅行に行ったので、今日は旅行に行ったことについて書こうと思います」→「昨日旅行に行ったので、今日はそのことについて書こうと思います」
指示語を使わないと、とにかくくどい。
長文になるほど適度に指示語を挟まないと、とんでもなく読みにくい文になってしまいます。
2.直接的な表現を避ける
指示語が果たすもう1つの役割として、直接言い辛いことを代替えするというものがあります。主に口語で使われることが多いでしょうか。
過激な事例になってしまいますが「あの人ちょっと頭おかしいから関わらない方が良いよ」→「あの人ちょっとアレだから関わらない方が良いよ」と言った具合に。
指示語に置き換えたところで特段印象が良くなるわけではありませんが、一応相手に配慮・・・あるいは、明確な意思表示を避けて責任逃れをするという意味合いがあると思うので、表面上円滑に人付き合いを行うには大切な役割ではないでしょうか。
しかし、この意味で指示語を多用されると、自分の発言に責任を持たない自信のないヤツというような印象を相手に与えてしまう気がしています。
3.表現する術を持たない時
そして、今回最もテーマにしたいのがこちら。伝えたいことを明確に言語化できない時の逃げの一手として指示語を使うケース。
この用途で指示語を連発すると語彙力の無さが露呈してしまい、とんでもなく頭が悪い人に見えてしまうので要注意です。
事例
僕の母親が上記2と3の意味でやたら指示語を使うので、時々聞いていて不快になります。
- 「まあ、今回はちょっとアレだったからね」
- 「この前久しぶりに〇〇君に会ったけど、ちょっとアレだったね」
ワケが分からん!
- 「まあ、今回は天気も悪かったし、体調も良くなかったからね」
- 「この前久しぶりに〇〇君に会ったけど、すごい金髪でいかつくなってたね」
とか、もう少し適切な表現ってあると思うんです。
どうも母親の話を聞いていると、はっきりと物を言うことで発生する責任を回避しようという魂胆と語彙力がなくて自分の思考を言語化することができないという2点がありありと感じられるので好きではありません。
使ったらダメなわけではないけれど
僕も自分の意見に自信がない時や、思考を言語化できない時に指示語による逃げの一手を打つ選択をしているという自覚はあります。
しかし、使うにしても限度があると思っていて、一度相手に「この人は指示語ばかり使って話す人だな」という印象を持たれると、その後の挽回はなかなか厳しいものがあると思います。
指示語を多用してしまう人について、一朝一夕で対策を立てるのは難しいかと思いますが、「3.表現する術を持たない時」は語彙力の無さが原因なので、多くの本に触れることが改善の一手に繋がるかもしれませんね。
ビジネス書よりも小説のような気軽に読める本の方がかえって多様な表現が使われているので、語彙力を高めるという意味では良さそうです。
まあ、「こんな表現日常会話の中で使わねーよ!」というものも多いですが、意外と役に立つ言い回しが見付かったりするので面白いです。
以上!