「死ぬこと以外はかすりキズだ」って言葉、聞いたことあるでしょうか?
なんでも、山崎拓巳という方の著書が元ネタとなっているそうで、Facebookなどを見ているとこれを引用して発言している人をちらほら見かけます。
言いたいことは分かりますが、大っ嫌いなんですよ、この言葉。
今回はそんな話
「死ぬこと以外はかすりキズ」が嫌いな理由
この言葉自体が嫌いと言うよりは、これを軽々しく引用して他人に向けている人たちが嫌いです。
特にFacebook上でのこんなやり取り。
Aさん「どうしても職場に馴染むことができず、仕事を辞めることになりました。周りの方々にもたくさん支えてもらっていたのに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからのことはまだ何も決まっていませんが、しばらくは実家でゆっくりするつもりです。」
Bさん「そっかー、大変だったね。でも大丈夫、死ぬこと以外はかすりキズだから!」
はぁ?
Aさんのことをどこまで分かった上で発言しているか知りませんが、何様だよ?
上のやり取りを直訳してやろうか。
Aさん「頑張ったけど、ダメでした。心が折れそうです。辛いです。」
Bさん「そんなの大した傷じゃないから、なんとかなるって!」
無責任過ぎだろ?
傷付き、今にも心が折れそうな人がこんな励ましの言葉をもらっても、気持ちを立て直す糧にはなりません。
むしろ「あなたに私の何が分かる?」というネガティブな気持ちを抱かせる確率の方が高いでしょう。
完全に逆効果です。
そんな自己満足な励ましの言葉をかけるぐらいなら、黙って見守るという姿勢の方がよほど効果的ではありませんか?
冗談交じりで使っているのか?
別のシチュエーションについても考えてみます。
Aさん「やばい、これでフラれた回数通算100回超えたわwww」
Bさん「マジで?まあ大丈夫、死ぬこと以外かすりキズだからwww」
もしかして、皆さんこういうノリで「死ぬこと以外はかすりキズ」を使われてるんですかね?
まあ、これなら分からないこともありません。
Aさんが大してダメージを受けていない状態であれば、適当な励ましの言葉でも問題ありませんから。
でも、少なくとも僕は今までこんな冗談交じりに「死ぬこと以外はかすりキズ」を使っている人を見たことはありません。
要は他人にその言葉を向けるのが嫌い
ここまでをまとめると、とんでもなく傷ついている人に向かって軽々しく「死ぬこと以外はかすりキズだ」なんて励ましの言葉をかけるというのは無責任だということ。
ですが、自分を奮い立たせるためにこの言葉を座右の銘にするならそれはアリでしょう。
挫折をして、落ち込んだ。
「いや、まだまだ俺は頑張れる。こんなのかすりキズだ!」
と、奮起するのであればこの言葉がもつ力を健全に活かせていると思います。
つまり、僕が言いたいのは他人に向けてこの言葉を使うのをやめろってことです。
最後に
僕も有名人や歴史上の偉人の名言を引用することはありますが、言葉の本質を捉えずに引用してしまうと恥ずかしいですよね。
名言の引用は自分の主張を補強するのに役立ちますが、的外れな捉え方をしないよう要注意です。
SNS関係で残念な気持ちになると言えば、「SNSに蔓延する「行けたら行く」問題に物申す」の記事で書いた内容も「死ぬこと以外はかすりキズ」と同レベルで苦手です。
そもそもこういうやり取りが苦手なら、SNSやるなって話なんですけどね。
以上!