以前イベントの企画に関する記事を書きました。
既存のコミュニティに後から参加することのハードルが高過ぎる件 - かつおログ
今やSNSを使って簡単に不特定多数の人たちに対してイベントのお誘いができるご時世。
便利になったものですよね。
しかし、そんなイベントのお誘いに関するページを見ていると、なんだかなあと思う場面も多いです。
今回はそんな話。
半年後のイベント募集に対する反応
知人が毎年ゴールデンウイークに恒例で開催しているイベントの事例です。
「学校」にまつわる活動をする一風変わった企画で、毎回50人を超える集客力を誇るイベントです。
リピーターも多数。
活動実績も既に5年目。運営者はトップの1人以外は毎年新しく募るスタイルで活動しており、イベント企画者の鑑だなあ、と尊敬しています。
さて、そんな彼のイベント、SNS上でも参加者を募集するのですが、その告知は早くも半年前からスタートします。
そのコメント欄を見てみると・・・
「行けたら行きます!」
「今回こそは行きたいです!」
なんて書き込みがちらほら。
そのコメント、どうなの?と思わずにはいられません。
「行けたら行く」を発する心理
特に「行けたら行く」って、企画者に対して失礼極まりないと思うのです。
半年後の予定が明確に見通せることなど普通はないでしょう。まだ予定が分からないから「行けたら行く」という曖昧な返答をしてしまうのだと思いますが、まだ予定が分からないからこそ、その日を今イベントのために確保しておけばいいのでは?
早速カレンダーにそのイベントの予定を書き込んだのなら、「行けたら行く」なんて言葉は出てこないはずです。
つまり、「直近になって気が向いたら行こうかな、という程度の興味しかありませんよ」ということを企画者に伝えているも同然なわけです。
それを感じ取れないほど鈍感な企画者っていないですよ?
そんなコメントを書かれるぐらいなら、何も反応されない方がマシです。
「今回こそは行きたい」も同様。どうしても行きたいのならその時点で先手を打って予定を確保できるはずです。それをしないのだから、やはりその程度の興味しかないということ。
もちろん、ギリギリになってどうしても外せない用事が入る可能性はあるでしょう。その可能性を考慮して、後から「やっぱり行けなくなった」となるのは申し訳ないという意味で「行けたら行く」という言い回しにしてしまう気持ちも分からなくはありません。
あるいは、「そこまで興味はないけど、とりあえず興味があるアピールをしておいた方がきっと企画者も嬉しいだろう」という余計な気遣いから「行けたら行く」という意思表示をしている人もいるかもしれませんね。
しかし、その気遣いが逆に主催者に迷惑をかけてしまう可能性があると言うことを考えたことはありますか?
本気で参加する気がないのなら、心の中に応援の気持ちをしまっておくに留めた方がお互いに幸せになれることだってあるんです。
「行けたら行く」が呼ぶデメリット
さらに大きな問題として、SNSの投稿に対するコメント欄は誰でも閲覧することができるため、後からその投稿を見た人にも悪影響を与えるという点が挙げられます。
考えてみてください。
「行けたら行きます!」
「行けたら行きます!」
「行けたら行きます!」
「行けたら行きます!」
「行けたら行きます!」
なんてコメントが並んでいるイベント、参加する気が削がれませんか?
「ああ、みんなそんなに興味ないんだな」って思いますよね。同調圧力と言うのは怖いもので、自分が興味を持って開いてみたイベントのページでも、周囲の反応が悪いとそれだけでイベントに対する魅力が半減して見えることってよくあるものです。
最終的には集客に悪影響が出るということで被害を受けるのは企画者に他なりませんが、既に参加表明をしてイベントを楽しみにしている他の参加者だっていい気はしないでしょう。
傍から見ていてもそう感じるんですから、企画者本人にしてみたら相当寂しいと思います。
最後に
例で挙げた学校にまつわるイベントの企画のように、ある程度の集客力を有するようになってくれば、多少の打撃は痛くも痒くもないでしょう。
ですが、例えば初めてのイベント企画でドキドキしているような企画者に対して「行けたら行きます」コメントが連発される光景見たらどう思いますか?
切なすぎだろ、そんなの!
だったら何も反応してくれなくていいよ!
いや、それも寂しい!
以上!