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自分に何の取り柄もないことが証明されたあの日

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あなたは自分の取り柄について語ることができますか?

主観ですが、語れない人の方が多数派ではないでしょうか。

 

では、自分の取り柄が何かを決めるのは誰なんでしょう。

自分?

他人?

 

今回は自分の取り柄と向き合ってみます。

 

 

自分に取り柄がないことが証明された日

大学時代、僕は子どもと関わるサークルに所属していました。

子どもたちを楽しませるため、恥を捨てて人前に出る気概が必要だったため、そのための訓練に結構な時間を割いたものです。

 

ちょっとした遊びの時間でも人前に出ることを意識したようなアクティビティが行われるので、文化系にも関わらず体育会系のノリに近いものがありした。

 

ある時、「ヨイショ」というアクティビティが行われました。

 

「司会者に呼ばれた人をひたすら周りの人が持ち上げる」というルールのゲームです。

 

「〇〇くん、ヨイショ!」

「かっこいい~」「逞しい~」「頭いい~」

 

といった具合ですね。

字面にすると随分シュールだな・・・

 

基本的には、サークルの先輩を持ち上げることがほとんどなんですが、何を血迷ったか、呼ばれたんですよね。当時1回生だった僕が。

 

しーーーーーーーーーーーーーーーーーん

 

ですよ?さっきまで盛り上がってたのに。時間が凍り付いたのを確かに感じました。

 

あの司会者、DIOより長いこと時間止めれたんじゃないかな。

 

で、その沈黙の後、あろうことか

 

「ないな~」

 

と言う声。と、ぼそっと「優しい~」と言ってくれた当時の元カノ。

 

僕の取り柄のなさが証明された瞬間です。

 

取り柄のないことは悪いこと?

もちろん、その時は傷つきました。

 

余り人気のない先輩ですら、ちょっと尖ったところがあれば、それについて持ち上げられていたわけですから、何も言われなかった僕は周りから見て秀でているものが何もない無個性な人間だったわけです。

 

思い当たるところはありました。

恐らく、誰からも嫌われていなかったとは思いますが、滅茶苦茶僕のことを好きと言う人もいない。

どうでもいい人だったんですよね。

 

実は生まれてこの方、どんな組織に属してもほぼこのポジションにいます。

無難な位置にばかり収まって、つまんねー人生だよなあ。

 

もちろん、取り柄がないこと=価値がないことではないので、自分自身について何か否定されているというわけではありません。

 

それなのに、なぜこんなに辛い気持ちになるんでしょうか。

 

はっきり言います。

取り柄がないことは悪です。

 

だって、誰も自分の取り柄を挙げてくれないなんて、自分が辛いじゃないですか。

だったら、多少どこかを削ってでも尖った方が良い。

 

誰からも好かれも嫌われもしない立場なんてクソですよ。

 

じゃあ、どうやって尖ろうか?

別に進んで誰かに嫌われる必要はないと思うのです。

一朝一夕でできることではないですが、

 

例えば黙っているより話すこと。

何かを継続すること。

たまには愚痴を言ってもいいこと。

譲れないところに触れられたら喧嘩したっていいこと。

 

そんなことでいいんじゃないかなあ。

 

以上!