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低収入のサラリーマンが楽しく生きるための方法を考案するブログ

社会でラクに生きたいなら自由研究を全力でやれ!という話

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学生時代、夏休みの宿題と言えば誰もが共感できる嫌な思い出の1つだと思います。

  • 各教科のドリル
  • 自由研究
  • 読書感想文

この辺りが定番ですよね。

この中で、自由研究が将来生きていく上でいかに重要なものであるかを説明したいと思います。

 

自由研究の重要性

自由研究が他の宿題と明らかに一線を画していることは誰もが認めるところだと思いますが、ではどういった点で他の宿題と異なっているのでしょうか?

答えは簡単で、自分で課題を探す必要があるという点です。

 

他の科目・・・たとえば国語も数学も英語も理科も

  • ~答えなさい
  • ~訳しなさい
  • ~証明しなさい
  • ~書きなさい

といった形で、課題を与えられていますよね。

 

しかし、自由研究ではその課題を自分で探すところから始めなければいけません。

この「課題を探す力」が後々大人になってから生きていく上でとても重要になります。なぜなら、社会人としての生活は、日々課題を見つけてはその解決方法を考えるというプロセスの連続だからです。

 

課題を見つけられない人間の生き辛さ

では、課題を見つける力が身についていないとどうなるのでしょうか?

悪い点がいくつも考えられます。たとえば以下の通り

 

非効率

自分が日々ルーチンワークとして行っている作業があるとしましょう。もしかしたら、その中には無駄に非効率な方法で行っている手順があるかもしれません。

課題を見つける力が備わっていないと、その非効率さに気付かないまま無駄な作業を日々繰り返してしまうことになります。

 

チャンスを逃す

課題を見つける力が備わっていれば、世の中が抱えている課題にも気付くことがあります。

みんなが「何か不便だな」と感じるようなところですね。そういった課題にいち早く気付ける力があれば、人々の不満を解消できるサービスを誰よりも早く立ち上げたりして、ビジネスチャンスを掴める可能性を手にすることができます。

 

課題を見つける力を持っていないと、当然そんな考えを持つことはできません。

 

指示待ち人間

自分で課題を見つけられないということはつまり、他人に課題を与えてもらうのを待つしかない状態です。こういったタイプの人は指示待ち人間と呼ばれ、社会で活躍できる機会は限られてきます。

これが原因で生き辛さを感じている人も多いはず。

 

学校教育の弊害

話を学校教育に戻すと、自由研究のように自分で課題を発見するタイプの宿題ないし授業はほとんどありませんよね。

課題を与えてもらう機会が圧倒的に多いので、自分から課題を見付けに行こうという姿勢は養われにくいと思います。

 

自分の話になりますが、僕は割と5教科の成績は良い方でした。宿題も忘れることなくしっかり提出していたのですが、自由研究だけはどうしても課題が思い付かずに提出しなかった時があります。それぐらい苦手でした。

そうして今、大人になっても課題の発見が苦手なままでいます。仕事も余りできません。

 

課題を与えられさえすれば力を発揮できるけど、そうでなければどうしていいか分からない。学校教育はこういったタイプの人間を作り出しやすいという側面も持っていると思います。

 

まあ、学校教育のせいにして自分の努力不足を棚に上げるのは論外ですけどね

 

仕事以外の課題発見

上では仕事を例に挙げましたが、仕事以外でも課題発見能力は重要です。

例えばこのブログ。

問題点を挙げればキリがないでしょう。また、何かしら良い要素も持っているかもしれません。それらをひっくるめて悪いところを改善し、良いところは伸ばしていくのがまさに課題発見の力が役に立つところです。

 

他の趣味でも同じこと。また、何気ない日常生活の中でも課題を見つけることで快適に暮らすヒントが得られるに違いありません。

 

「なぜ?」と考える力

能力のある人は口を揃えて「常に『なぜ?』と考えるようにしている」と言います。

余りにも多くの人が言っているので、相当重要なことなのでしょう。

今回のテーマである「課題を見つける力」と、この「常に『なぜ?』と考えること」は全く同じ内容だと思っています。

 

そして、この習慣を大人になってから身に着けるのはすごく難しい。

子どものうちから、自由研究が毎日の宿題であるぐらいの気持ちで過ごした方が将来のためになるかもしれませんね。

 

さいごに

「何が問題なのかすら分からない」という情けなさよ

 

以上!